白鬚東アパート(白鬚防災団地) (2020/08/15)
ようやくこの日の本命の白鬚東アパート(白鬚防災団地)へと向かいます。
今回の記事はかなりの長編になっています。
目次
はじめに
この日は南千住駅から歩いていくつかのアパートに寄りつつこの台東区と墨田区の区境となっている隅田川にかかる白鬚橋を渡りました。
この記事で紹介するアパート群は独立した一つの記事で書きたかったので前回の記事は少し過程を飛ばしてこの橋の奥にあるトミンハイム墨田一丁目(団地)について書きました。先に白鬚東アパートの全体図を見ておきましょう。航空写真にそれぞれの棟の号数も示しておきました。
これからこの団地を縦断していくのですが、見て分かる通り壁のように連なったアパート群は南北に長大で(写真では見やすいように西向きにしています)その長さは約1.2kmにもなるそうです。
細かい歴史は他のサイトが紹介しつくしているのでそれらを参照してください。簡単に言えばこの建物全体で災害などの非常時における防火壁の役割を担うそうです。
左下の丸数字で棟の号数を示している団地は上記のトミンハイム墨田一丁目(団地)です。冒頭に載せた写真のところは白鬚東アパートの南端なのですが、そこから北へと川とアパートに沿うように東白鬚公園という公園が広がっています。
今この記事では「白鬚東アパート」とこのアパート群を総称していますが、この案内図を見ると分かる通り厳密にはそうではなく「都営白鬚東アパート」・「東白鬚第一マンション」・「東白鬚第二マンション」の三つのアパートからなる団地となっています。
この記事ではこの三つのアパートをまとめて「白鬚東アパート」と広義的に表していこうと思います。
1号棟~4号棟
まずは南端の1号棟側から団地内に入っていきます。1号棟のエントランスがありますが、そちらからは入らずに手前にある2号棟へと直接入ることができる階段を上って入ってみました。階段を上った脇に廊下があります。奥に見える白鬚橋門の上には1号棟と2号棟を繋ぐ廊下もあります。その1~2号棟間の連絡通路です。1号棟にも入ってみます。東白鬚アパートのほとんどの棟ではこのように階段が廊下からはみ出していない造りとなっています。一旦アパートを降りました。このアパート群の全てが縦一列に並んでいるわけではなく「壁」という役割を担うためにこのようにアパート間の隙間には門が設置されています。
1~2号棟間の門は白鬚橋門という名前になっています。すぐ近くの白鬚橋から名前を取ったのでしょう。2号棟に戻り最上階へと昇ります。白鬚東アパートは団地のアパートとしてはとても珍しい造りで全ての棟が13階建てとなっています。最上階に昇りました。エレベーターホールは棟の一番門に寄ったところ(門の脇)に作られているので広々としています。3号棟側へ向かいます。3号棟への連絡通路へと向かいましたが封鎖されていました。扉の注意書きによると非常時にのみ開放するそうです。災害時に下の門が全て閉ざされたときにここの扉は解放されるのでしょう。エレベーターに引き返してまた地上から3号棟に移動します。
先ほど紹介したように階段が廊下の内側に収まっているので外から見るとスタイリッシュな見た目になっています。アパートの側道のすぐ向かい側ははじめに書いたようにずっと公園が広がっています。3号棟に入ります。3号棟のエレベーターはえんじ色でした。写真には撮っていませんでしたが1,2号棟のエレベーターもえんじ色だったはずです。4号棟もそうだったような気がしますが確かではありません。
最上階に昇ります。廊下をまっすぐ進むと突き当りにはやはり4号棟への連絡通路がありました。4号棟にそのまま入ります。4号棟の廊下の南端から1号棟側を振り返ります。屋上に設置されたオレンジ色の貯水タンクがとても目立っています。4号棟の廊下です。消火栓のある奥側に進みます。しかし、またしても突き当りの連絡通路は解放されていませんでした。
階段室とは言うものの施錠がされており非常ベルも付いているので、これも災害時にしか解放されなそうです。再びエレベーターに戻って地上に降ります。
門の裏側には尋常じゃない太さのパイプが2本通っています。用途に関しては詳しくは分かりませんが災害時用なのでしょうか。こうして地上から見てみるとベランダの造りや塗装もなかなかオリジナリティがあります。3~4号棟間の門は寺島門という名前です。
名前の由来はこの記事によると明治時代にこの地域の一部が寺島村であったことに由来することからだと言います。墨田区が公開している史料と航空写真を用いて寺島村の後継の寺島町の範囲と現在の東白鬚アパート(堤通2丁目)の範囲を照らし合わせてみました。
詳細はよく分かりませんが現在の堤通2丁目の中に旧・堤通2~3丁目が存在していたようです。
これを見ると確かに寺島町三丁目の北端は現在の寺島門の付近にあるように見えます。最上階から見えていた極太のパイプ管の真下に来ました。隣には何らかの施設、そして真下にはパイプ管エリアへの入り口がありました。位置的には階段の中腹、高さ的にはすぐ目の前にある駐輪場の屋根程度の高さという微妙な場所にドアが作られているので施錠されたドアには「出入りには脚立を使うこと」と書かれています。パイプ管の整備用のドアなのでしょう。
5号棟~9号棟
寺島門の先の5号棟へと向かいます。念のため5号棟側から4号棟への連絡通路に入れるかを見ておきましたが、当然通路へのドアは施錠されていました。そもそも上に分かりやすく非常口と書いてあります。アパートをくぐり墨堤通り側から見た5号棟のエントランスです。エントランスの向かってすぐ右手にあったので先に門を見に行きました。この門は水神門という名前です。エントランスに戻ってエレベーターで最上階に昇ります。5号棟からはエレベーターの色が青緑色になっています。もちろん門の上には5号棟と6号棟を繋ぐ通路があります。5号棟から北の方角を望みます。まだこのアパート群の半分も回れていないので先にはまだまだアパートが連なっています。下を見るとテニスコート(左下)と野球場があります。この日はここで少年野球の試合をしていました。6号棟の廊下を進みます。奥にある7号棟へと繋がる連絡通路はやはり封鎖されていました。
1~2は〇、2~3は×、3~4は〇、4~5は×、5~6は〇で6~7は×です。なんだかペースがつかめてきたような気がしますね。エレベーターに戻ります。6号棟のエレベーターも青緑色の塗装がされています。左右のエレベーターは形が微妙に異なっています。
詳しくは記録をしていなかったのでどこのものがそうだとは書けないのですが、向かって右側のエレベーター(1枚目、4号棟で撮影)は縦に広く横に狭い造りになっていてボタンが側面に付いている形になっています。
そして、向かって左側のエレベーター(2枚目、2号棟で撮影したものを再掲載)は縦に狭く横に広い一般的な造りのものになっています。地上に降りて7号棟に向かいます。6号棟と7号棟のつなぎ目をくぐると鳥居が立っていました。道路側にまわり鳥居を正面から見ます。どうやら先ほど見えたテニスコートの裏側の川沿いに隅田川神社があるらしくアパートのつなぎ目の下の通路がそのまま参道となっているみたいです。
両脇の石碑には「水神」という文字が刻まれています。隅田川神社の5~6号棟間の門である水神門の名前の由来もここからきているのでしょう。
今回は社には行っていません。そのまま墨堤通りを北へ歩き7号棟に入ります。この棟のエントランスは一番8号棟寄りのところにあります。エレベーターに乗り最上階に昇ります。この棟からはエレベーターの色が黄色になっています。7号棟の廊下です。南を向いているため少し前の記事で紹介した橋場二丁目アパートが見えています。反転して8号棟に入ります。今までの通路とは違って直列で繋がっています。棟の真ん中にある8号棟のエレベーターも黄色です。どんどん先に進んでいきます。廊下の突き当りまで歩くと、なんと9号棟への連絡通路がありました。
7~9号棟だけは3棟が繋がっているようです。9号棟の廊下も一番奥まで見てみましたが、流石に10号棟への連絡通路は封鎖されていました。他の棟でもそうでしたが、10号棟はすぐ目の前にあるのに地上からでないと行き来ができません。
エレベーターで地上に降りますが、10号棟へと向かう前に8~9号棟間の門を見に行きます。
壁に立てかけてある虫取り網が当時の季節を物語っています。この記事を投稿した時点では12月と真冬ですが、当時は8月中旬の夏真っ盛りです。9号棟のエントランスの傍らには何故か榎本武揚の銅像がありました。銅像下にある解説によると氏は晩年に墨田区の現・言問小学校の西側に居を構えていたといいます。しかし地図でその住所を確認してみるとここから約1kmほど南(おそらく墨田区向島5丁目)と微妙に遠いところでした。
この団地を整備するために引っ越した木母寺の境内にあったものをそのままこの団地に残したとは書いてはありますが、それ以上の情報がほとんどないことから察するに榎本武揚本人と東白鬚地域の関わりはそこまで濃くはないのだと思います。ただ、縁があるのは間違いないです。8~9号棟間の門は梅若門という名前のようです。付近に「梅若」を関する施設(梅若小学校・梅若スポーツプラザ)が多いので寺島門のように地名が由来なのかなと思いましたがこれはそうではないようです。
由来を調べているうちにWikipediaの木母寺という記事にたどり着きました。先ほど榎本武揚像がある理由として木母寺が出てきましたがここでもまた話の中心になるようです。
簡単に言えば木母寺は梅若伝説という昔話の発祥の地であるそうです。詳しくは木母寺のホームページやこのページを参照してください。能の『隅田川』の題材にもなっているそうです。
10号棟~14号棟
次は公園側から10号棟に向かいます。
これは他の棟にも共通していることなのですが、門や渡り廊下などの棟と棟のつなぎ目は全て2枚目のような耐震設計となっています。2つの棟のつなぎ目がすれ違うようにすることで各棟がそれぞれ独立して揺れをいなし倒壊を防ぐという仕組みなのでしょう。10,11号棟のところで1号棟からずっと続いていたアパートの側道は大通りにぶつかるために一旦行き止まります。一段上がったところの隣の公園では大通りを跨ぐ人工地盤が作られているのでその道に入れば道路の向こう側に行けますが、そちらに行く前にまずはすぐ横の10,11号棟に入ります。アパートの真下の入り口です。10号棟と11号棟は完全に一体化していて入り口も内部のエレベーターも共有のものになっています。
この写真に写る入り口も棟で言うと11号棟のものです。道路側(正面)から見た入り口です。この周囲の通路にはしらひげセンター商店街という屋根つきの商店街があります。いくつか商店街の写真を貼っておきます。肝心の商店街の中央部の写真は撮り忘れていました。Googleストリートビューでその部分の写真が載っていましたのでそこで見てみてください。エントランスに戻って10,11号棟の中に入ります。この棟だけ外観が綺麗になっていますが他の棟と同じくオートロックはありません。エレベーターに乗って最上階に行きます。10,11号棟の境目にエレベーターがあり、エレベーターを出て右に進めば10号棟へ、左に進めば11号棟に入ります。10号棟の廊下です。反対側の11号棟の廊下です。特に変わったことはありません。隣の13号棟への連絡通路は封鎖されています。11号棟から13号棟へと飛びました。1つ飛ばされてしまった12号棟は住所(東京都墨田区堤通2-7-n n=棟の号数)で調べてみると住棟ではなく下にある駐車場であるようです。
同じように13,14号棟を検索すれば場所が分かります。記事の冒頭部分に棟の号数を表記した航空写真を載せてあります。11号棟から北側を望みます。一番左側の棟が18号棟なのでようやくゴールが見えてきました。上から大通りを跨ぐ人工地盤を見下ろします。地上に降りて12号棟(駐車場)の外周を見てみます。
その奥にも行ってみましたが、大通りへと出れそうな門はシャッターが閉ざされており行き止まりでした。左手の階段を上った先にある扉も鍵がかかっており一切通り抜けができません。アパートの側道に戻ります。左に見えるのは10,11号棟の出入り口です。先ほどの側道と大通りがぶつかるところに行きましたが特に何もありませんでした。橋の上に行く階段も見当たらなかったので道を戻り公園側に上って橋の上に行きます。11号棟の上から見た通り広場はとても開けています。
大通りの中央分離帯の真上に立ちます。13,14号棟は住棟ではないようですが大通りを跨いでまで壁の役割を果たそうとしています。このままこの道を真っすぐ進むとこの団地の最寄り駅である東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅に着きます。
15号棟~18号棟
橋を渡って大通りの反対側へ下ります。ようやく次がこの団地の最後のブロックである15~18号棟です。やはりこの棟も壁としての役割を全うするための門が設置されています。手前側の15,17号棟と奥側の16,18号棟の中央に鐘淵門が作られています。
この門だけはこれまでの門と造りが全く異なり、横幅が狭く縦長な造りになっています。横のアパートで数えてみると全長はおよそ地上5階の高さとなっています。
右手に見える階段は上っていません。実はこの記事を書いている段階で初めて気が付きました。
15~18号棟の案内板です。
それぞれの棟の号数こそは違いますが全体の造りだけで見れば実質的にツインコリダー型の住棟となっています。15号棟の脇には鐘ヶ淵北保育園があり門をくぐってすぐ右手のところに入り口があります。上れなかった階段もこの保育園の屋上に繋がっているのでしょう。
ここに着いた時点では14時過ぎだったのですが、何組かの親子の送迎時間と被ってしまったのか園児たちがこの辺りで遊んでいたので特に鐘淵門の真下付近の写真がとても取りづらい状況でした。まずは入り口のスロープを上り15,16号棟のエレベーターホールのある方へ行きます。17,18号棟の方を振り返った写真ですがよく見ると門の下に階段がちらっと見えています。しかも先ほど上り損ねたと書いた保育園の屋上から通路が伸びているようにも見えますがその通路は解放されていたのでしょうか。
団地のこういった通路は大抵解放されていないイメージですが、もし解放されていたとしたら鐘淵門の上に上れたのかもしれません。ぜひ皆さん自身で確かめてきてもらいたいです。一旦15,16号棟の中央部を抜けて墨堤通り側に抜けました。
このような道路側の棟の低層階が階段状に少し南へ伸びる構造は記事の最初の1~2号棟間にもありました。また写真は撮っていませんが3~4,5~6,8~9号棟間にも見られます。15号棟を見上げます。14号棟との連絡通路が数階に一つずつ作られています。16号棟の南に伸びているところから棟の中に入ります。花壇の横には住民が作ったのであろうコンクリートブロックで作られた階段もあります。エレベーターホールのある中央部に戻りました。16号棟側の出入り口には郵便ポストが置かれています。また、この建物の地下には駐車場も作られているようです。その反対側には東白鬚公園へ抜ける15号棟側の出入り口もあります。掲示板には「死」という文字が落書きされていました。この地域の治安が心配になります。ただ、グラフィティのような落書きでもなく意味がありげな落書きでもなく単純に縁起が悪いだけの「死」という文字が書かれているのは住民ではない身からすると少し面白いです。そのまま13階にエレベーターで昇りました。左側に行けば15号棟、右側に行けば16号棟です。先ほど下からも見ましたが15号棟と17号棟、16号棟と18号棟はそれぞれ繋がっておらずその隙間に鐘淵門が作られています。
ただ、2枚目の画像の通り16~18号棟間の通路は例によって封鎖はされているものの連絡通路が作られています。この2枚目は写真の撮り方が悪すぎましたが、3つ上の最上階からの展望の写真で通路の出入り口が見えています。エレベーターホールのすぐ横にある15号棟最上階のダスト室です。ダストシュートが壁面にあり、空いたスペースは適当な物置になっています。最上階ダスト室の奥が吹き抜けのようになっていたので一つ下の12階に降りるとダスト室がピロティになっていました。ダストシュートは見当たらず完全な物置スペースになっています。一番奥には避難階段が設置されています。地上に戻り最後に17,18号棟に向かいます。
この4棟のエントランスは一段高く作られていて、そこに上るスロープの脇の通路は屋根付きの駐輪場になっています。17,18号棟のエレベーターホールです。最上階に昇ります。最上階です。基本的に15,16号棟と中の構造は全く同じなので紹介は省きます。1階には公衆電話がありました。恐らく不自然な穴があることから隣にもう1台あったのでしょうが撤去されています。そもそもここの住民がこの公衆電話を使う機会はあるのでしょうか。18号棟側の出入り口から墨堤通りに出ました。
ようやくこの長い踏査が終わりました。次の記事はこの日の最後に行った北千住の日ノ出町団地について書く予定です。